『ひとり暮らし』(ゆったり読書感想)

読書

『ひとり暮らし』


ひとり暮らし
谷川俊太郎
新潮社
全237ページ

選んだ理由

棚差しされていて、タイトルが先ず目に入りました。安直だけれど、引っ越し祝いに良いのでは、とおもいました。
次に著者名を見て、谷川俊太郎さんだと知りました。彼のエッセイは面白いとおっしゃっている方がいたのを思い出し、あらすじを確認したら、エッセイだと書かれていました。
その時点で「いいかも」とおもったのですけれど、決定打はあらすじの最初の文。“結婚式より葬式が好きだ。葬式には未来がなくて過去しかないから気楽である”に惹かれました。
そして表紙がペンギンさんの絵。最高ですね!

読書記録

p.13
“私が今この世にいるのは、その祖父のおかげだと聞かされた。”
もしおじいさまが何も言わなければ、詩の世界は違ったものとなっていたのかもしれませんね。人の命に差はない、と表では言われていますけれど。影響力が強い方がいるということは事実です。

p.15
“ポポー”
マンゴーみたいな果物ですね。

p.18
“老人はみずからその場に座りこみ、他の人々もまた老人を残して移動をつづける。”
姨捨山(おばすてやま)を思い出しました。あちらは基本的に、ご老人自ら向かうものではないですけれど……。

p.18
“心にぎゅうづめになっているもの”
なんでしょうね……。わたしの場合は、「不安」?

p.23
詩人が語る詩のせかいがまだ、よくわかっていません。

p.29
“そうとってもらっても私はかまわない。”
そう言い切れるの、格好良いです。

p.31
いっぱい食べることができる人は、生命力が強いなぁ……、と感じます。羨ましいです。

p.39
“「ターラララータ、ターラタララ」と言っておく。分かる人には分かるだろう。”
そのいい加減さ、好きです。

p.39
“ベトちゃん”呼び、かわいいです。

p.39
“ドクちゃん”がどのドクちゃんなのかわからないですけれど、わたしはつい、友人の顔を思い浮かべてしまいます。

p.43
“ノンシャランなところ”
“ノンシャラン”ってなにそれ? なんとなくおしゃれで、でも、ゆるっとしている感じ……。と、おもったら、本当にあることばなのですね。オリジナルではないようです。
「無頓着でのんきなさま。なげやりなさま。」だそうす。

p.52
“正直な自分が現れてしまう、それが言葉というものかと思う。”
わざと飾り立てようとすることばではなくて、その人の素のことばを読みたいとおもいます。わたしは。だって、そのほうがずっと魅力的ですから。

p.56
“他人と出会ったおかげで、自分とも出会えたのだろう”
他者と話すことで、自分の感情や考えを知ることが多いです。だからわたしは、人と会いたくなるのかもしれません。自分とは違う人生を知り、それと比較して自分はどうなのか知りたい……そんな気持ちがあるのかもしれません。

p.57
“大変な自分と出会うまでは、ほんとに自分と出会ったことにはならないんじゃないか。”
(中略)
“六十歳の私のうちに三歳の自分や、二十歳の自分、四十歳の自分がいる”
なるほど……。わたしはいままで、本当に自分と出会えていなかった、ということですね。それが急に、去年(2020年)、出会ってしまったから驚いたのかもしれません。
自分の中にたくさんの自分がいる人は、意外と多いのだと、知りました。それは変なことではないのかもしれません。あえて、なんとかしようとする必要はないのかもしれません。

p.57
“過去の自分と出会わざるをえないのがしんどい。”
はい。しんどかったです。

p.69
“自分自身で生きることだということがわかったようです。”
えらいです、お母さま。

p.72
“他の生きものにとっては当たり前な死が、人間にとっては当たり前ではなくなり、何か異常なことのように見なされる。”
どうしてでしょうね。生きるものは必ず死へ向かっているというのに。

p.79
“せっかちに聞くのではなく、ゆっくり時間をかけて聞けば、吃音は大きな問題ではない”
吃音だけでなく、ゆっくりことばを選ぶ人や、気持ちを言語化するまで時間をたっぷり取る必要がある方などにも、当てはまりますよね。常にじっと耳を傾けることができる人になりたいものです。
彼らのことばは、美しいことが多いから。せかせかしている人には見えないものが見えているように感じます。

p.81~
“結論と思ったものは、自分を安心させるためのごまかし”
何度自分をごまかしてきたのでしょう。「結論」ばかり求めていました。結論が出なくてもやもやしていたのですけれど、それでもよかったのかもしれませんね。ただよっているうちに、見えてくるものがあるのかもしれません。

p.85
“家中いたるところに本棚はあった”
羨ましいです。そんな家に住みたいです。

p.88
“生のしがらみは最後までついてまわる。”
いますぐ棺桶に入るのなら何が必要か、と考えたときに「たいていの物はいらない」と考えます。けれど生き続けると考えたら、「いらない」とおもったものさえも、必要だと感じるのでふしぎです。
「生」とは、面倒くさいものだと感じます。

p.113
“すぐ忘れてしまうようなささやかな歓び”
それを残そうとする人が好きです。気づかない人、気づいてもすぐに忘れてしまう人がたくさんいます。しっかり見て、記憶して、記録に残す……その行為がとても愛おしいです。

p.119
“空はいつも美しい。”
本当に。夕空が特に好きです。東京でも美しいから。夜空は、人口の光が強すぎる場所では本当の美しさが伝わってきません。夜景もイルミネーションも、星や月の光ほど魅力的ではない、と個人的にはおもいます。

p.121
“六十歳の私は「一日は夕焼けだけで成り立っているんじゃないから/その前で立ちつくすだけでは生きていけないのだから/それがどんなに美しかろうとも」と書きます。”
この詩、好きです。できることならわたしは、『星の王子さま』の王子さまのように、夕日を追いかけて、長いこと夕暮れのせかいをさまよっていたいです。

p.136
“その「ぼく」は『二十億光年の孤独』の中の「僕」とは違うと私は考えています。”
日本語は一人称がたくさんあるので、楽しいですけれど、ときどき困ってしまいます。一人称ごとにイメージがあるのでやっかいです。
一年ほどずっと「わたし」を中心に使用していますけれど、かつて使用していた「僕」が顔をのぞかせることがあります。ひらがな表記が増えたことに引っぱられて、「ぼく」と変化してもなお、身にしみついている一人称です。「わたし」より一文字少ないので、言いやすいです。

p.136~
作品=作者ではない、ということは創作している者ならばよくよくわかっていることだとおもいます。けれどそれでも、作品を通して、作者さんのことを考えてしまう自分もいることは、認めざるを得ません。
申し訳ない、とおもっております。

p.146~
みんなの作品を読みながらわいわい話しているところが、4コママンガ部を思い出して、こちらもたのしくなりました。いいですよね、創作で人と通じ合うことができること。
例え、作品を全面的に肯定できなくとも、楽しく時間を共有できる人がいるというのは、とてもしあわせなことだとおもいます。

p.156
“人の手に触れられるのはいい気持ちだ。”
自分の手ではそう感じないのですよねえ。ふしぎ。
人のぬくもりのほうが、気持ちいいと感じます。

p.173
“「まるごと愛して何もしない」”
それは、なかなかむつかしいことですよね。近くにいればいるほど、自分は何かできるんじゃないか……とおもってしまいます。それが、ご本人にとってよいこととは限らないのに。

p.184
“少年の部分を色濃く残しながら、私などより成熟している”
そんな大人になりたいものです。

p.192
“誰もが高いところに上りたがる”
高いタワーに上ると酔うので、わたしはあんまり……。けれど人は上を目指すものなのでしょうか……?

p.206
“自己満足におちいらないためにはどうすればいいか”を、「自己嫌悪に」と読み間違えました。表現活動をしている方で、自己嫌悪にまみれずにいられる人がいるのなら……羨ましいです。

p.211
“大男なのに厚底サンダルを愛用していた。”
この文章を読んだ瞬間、愛おしいな、と感じました。男性でも「盛る」方がいるのですね。わたしもしょっちゅう「盛って」います。

p.213
“彼らは寂しさや不安を誰かと共有したいのではなかろうか。”
そうですね。それらをごまかすために、SNSに逃げています。

p.222~
冬生まれなのですね。親近感。

p.227
“そんな光景を私はいつまで覚えているだろうか。”
記憶力に自信がないので、日々メモしています。日常に潜むささやかな美しさを、ずっと覚えていたいのに、そういうものから忘れていってしまいます。それが本当に、悲しいです。

p.228
“いっそ愛なんて概念は捨て去ってしまいたくなる。”
なりますねえ……。

p.230
“夜は嫌いではない。”
夜のほうが落ち着く方なのでしょうか?

p.233~
意外と生活リズムが似ています。ほんのすこし、わたしよりも早寝早起きかもしれないですけれど。世間からすれば遅いかもしれません。

2021/03/06-07、交互に一晩中読んでいました。どちらも読了。

参考リンク

  • 4コママンガ部で書いた、4コマ「ごめんね
  • 4コマを描く前の、落書き「はるか
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