映画『リトル・ガール』読書に逃げたかつての少女の感想(2021年11月公開)

映像

観るまえ

女の子として生きたいと切望している少女がいる。
それのどこが問題なのか、最初はよくわかりませんでした。

予告の動画を観て、フランスの女の子はとてもかわいいなぁ……とうっとりしました。大人たちが話すことば──「闘うのは疲れる」「親として許せるかとか そんなの関係ない」──に、何か引っかかるものがあるものの、その正体はわかりませんでした。
どう生きるか悩む人たちの話を聴くのは好きなので、詳しくはわからないけれど、観てみようかな……とこの時点でおもいました。

“フランス北部、エーヌ県に住む少女・サシャ。出生時、彼女に割り当てられた性別は“男性”だったが、2歳を過ぎた頃から自分は女の子であると訴えてきた。“
サイトに記載されているあらすじを数回読んで、じんわり、ことばの意味を理解していきました。彼女は心と身体の性別が一致していないのですね。

このテーマを扱う立場として、当たり前のことかもしれませんけれど、映像内でもサイト内でも隅々までサシャさんのことを女性と認めている姿勢が素晴らしいです。

観たあと

映画『リトル・ガール』を観ました。号泣しました。
予告動画の蝶々の羽を身につけて踊るサシャさんの姿を拝見して、「天使ちゃんかな? かわいい~」とほんわかしていた自分としては、正直ここまで泣くとはおもっていませんでした。涙もろいところがあるのは認めますけれど。……悩みの内容は違えど、彼女とリトル・しき(9歳くらいのわたし)を重ねて考えてしまう瞬間が何度もありました。

最も共感したのは、小児精神科医の先生とお話しているシーン。深く傷ついたエピソードを伝えたあとの会話です。

お医者さん「悲しい? 怒っている?」
お母さん 「怒る権利があるのよ。わたしは怒っている。あなたはどう?」
サシャさん「両方」

そう、そうですよね。どちらの感情もありますよね。
複数の感情が当時に生まれるとき、それと向き合うとき、とてもしんどいです。わたしはつい最近、ようやく、気づきました。悲しかった、こわかった、そしてわたしは怒っていたのだ、と。

彼女は2年生と言っていました。小学2年生という若さでそれらの感情を認め、ことばにできる……とても凄いことです。
いえ、彼女は、もっと前から自分と向き合っていましたし、主張していました。えらいです。

だって、どうしたらいいかわからなくなってしまいますよ。わたしの場合、ストレスの原因になったのは肉親だったので……愛したらいいのか憎んだらいいのか……自分が抱える複数の感情のどれを表明すればいいのか、まったくわからなくなってしまいました。
でも彼女には、絶対味方になってくれて、理解してくれる家族がいます。心の底から、羨ましいです。将来きっと、わたしほど、こじれることはないでしょう。

わたしはそもそも、問題と向き合っていませんでした。すぐに目をそらして、本のせかいに逃げて、あらゆることを忘れて、忘れられなかった部分はあきらめて……。ことばにしていませんでした。
いまようやく向き合って、とても重たいです。考えるだけで生活がままならなくなるほど、大きな傷になってしまっています。ちいさいころから、サシャさんのように、「助けてほしい」と言えたら、どんなによかったか……。
助けて、と言えるのは本当にえらいです。大事なこと。

そんな彼女ですけれど、泣きながら、「がんばったって無駄」と言ったことがあるそうです。
そうおもってしまいますよね……。ことばが通じない相手と向き合うのはしんどいですから。何もかも無駄だと諦めてしまったほうが、楽です、その瞬間は。
それに対して、「無駄じゃない」と言うお母さんのことばに泣きました。リトル・しきも、そう言ってもらいたかったです。わたしなりに耐えてきたこと、考えたこと、話したこと……無駄ではなかったのかなって……。

ようやくスタートライン。
少しずつ周りに認めてもらえるようになったサシャさんも、少しずつ過去と向き合えるようになってきたわたしも。

観ることができて、よかったです。

参考サイト

リトル・ガール 公式サイト
Twitter:@petitefille_jp

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