今回、「死」に関することを語っています。
マイナス思考が苦手な方、気持ちが引っ張られてつらくなってしまう方は、この先に進むことを非推奨としております。
制御不能
才能ある美しい女性が、ご遺体で発見されました。彼女は先週から行方不明になっていました。
そのニュースをうっかり真昼間に知ってしまい、家にいるのをいいことにひとりで泣き、すこしの間使い物にならなくなってしまいました。そのあと気持ちを切り替えたけれど、一息ついたいま、またもや泣きながらこの文章を綴っています。
現時点で彼女が自殺なのか、事故なのか、わたしは知りません。
以下、自殺の可能性を考えて綴っています。
もし、自殺だったとして……

「どうしてしんでしまったの?」

「しぬことないじゃない」

「いきていればきっといいことが……」
そんなことを言いたくありません。わたしは言ってはいけない。否定しないって決めたから。絶対。言うもんか……。
悲しいですよ。とてもとても悲しい……。胸が苦しい。それはきっと、彼女を愛するほかの人と一緒だとおもいます。
脳内会話
美しい女性がいなくなってしまったと知った次の日も、わたしは泣いていました。そのときは彼女を想って……ではなく、別の“人”と脳内で話していました。
その“人”は人生のレールから大きく外れることもなく、こつこつと仕事に取り組み、愛する家族がいて、自分がしぬのはずっと先だと感じている人。努力家で明るくて人に愛されている……そんな、素晴らしい人。
わたしとは違うタイプ。
でもわたしはその人のことを尊敬しています。

わたしがしぬって言ったら、あなたは『しぬな』って言うでしょう?
そう問われたとき、おもわずうなずきそうになりました。あなたがいなくなるのはとても悲しい……。
けれどもしも、本当に、「死」を望むのならば……わたしはその気持ちを否定しません。いままで悲しかったのです。

しなないで

いきて
そのことばが〈ワタシノコトヲオモッテ〉発せられているとわかっていても……しにたいほど追い詰められているのは本当なのに、自分自身を散々否定してきたのに、ここでもまた否定されてしまうのか……と。
だからしにたくなってしまった人たちを、多くの人に向き合ってもらえない「死」を、わたしだけは絶対に否定しないようにしよう とおもったのです。
予定変更
自分ひとりで管理している此処、「しきおりつづり」のほかに
「note」というサイトで、チーム「やさしきたからばこ」として不定期に活動しています。
わたしは「いたにし しき」と名乗り、ラジオを更新しています。
第1回目で上記の脳内会話について詳しく語っています。
これは第2回目に放送する予定でした。しかし急遽、公開を早めました。
冒頭のニュースが、もしも彼女が望んだ結果だったとして、否定する人が出てくるだろうと容易に想像できたからです。
ラジオでも語りましたが、それは、あなたの感情です。彼女の気持ちとは違います。
「いきたほうがいい」だなんて、言った者勝ちなのです。
生きて、生きて、生きて、生きて、それでもあのときしんだほうがよかった、と感じてもそのとき「いきろ」と言った人間は責任を取れないのですから。覚えてすらいないかもしれませんね。
何度だって主張しますよ。
わたしは、しにたい、を否定しない。
それでもし、相手が死を選んだとして……わたしは一生背負います。忘れません。その覚悟は持っています。
傾聴します
所詮わたしは、醜いしにぞこないです。
もう、「普通の人」の思考には戻れません。
それなら、同じように「死」と向き合って、苦しんでいる人たちに寄り添える人間になりたいです。他人のことを100%理解することなんてできないけれど、経験している分、中途半端な気持ちで聴くことはありえません。

こいつになら話してもいいかな
と、しんどいときに思い出してもらえるような、存在になりたいです。