聴いてほしかった

日々

「死」に関することを語っています。
マイナス思考が苦手な方、気持ちが引っ張られてつらくなってしまう方は、この先に進むことを非推奨としております。

たぶん予想していただろうけれど、あなたのことを書いてしまいます。

(この日記の番外編)


たくさんしゃべったし、たくさん聴いたはずなのに、はっきりとしたことばで残っているものが少ないです。声のやりとりはやっぱり苦手。自分の中に残りづらい。けれど、嫌いではないです。
何を話すか、どう伝えるか、深く考えずにしゃべってしまうニンゲンなので、下手くそだなあ……と感じます。ちゃんとことばにできていたか、わからないです。自信がないです。

朝の時点では、話すことを正直ためらっていたのですけれど、話してよかったです。あなたのことをもっとすきになった。
恥ずかしかったけれど、目をそらしてぼそぼそ言うのはずるいとおもったので、目を合わせて言いました。照れちゃうな!
話を聴いてくれること。考えてくれること。言い方が悪いかもしれないけれど……わたしにとってのメリット、だけでなく、あなたの考え方がすてきだと感じました。詳しくは後述します。
あなたは自分のことを汚いと言うけれど、わたしにとってその感覚ははてなマーク。その感情を抱くこと自体は悪いものだとはおもいません。控えめな人が多いこの国ではあまり堂々と話す人はいない、というか、いたら引いてしまうタイプもいるのは事実。わたしも、「ネタ」にされるのは苦手です。

わたし、可能ならばあなたと一生友人でいたいです。
ほかの友人にもおもっていることですけれど。ご縁が永く続いてほしいです。
けれど世の中には狭い価値観の方もいて、余計なことを言ったりおもったりする人もいるのですよねえ。ブラックしきさんは「くだらねえな」と嗤ってしまうのですけれど。
あなたの力になれるなら、できることは何でもするつもり。けれど、その“何でも”にあなたがあり得ない例えとして言ったことは含まれていません。お互い望んでいないことですし、おっしゃる通り満たされないことだから。

だれが相手でも、「人間」として向き合いたいなっておもいます。けれどきちんと向き合うためには余計なことがあまりにも多い……いや、自分が気にしてしまう感情や価値観、偏見が邪魔くさい。その部分は相手の問題ではなく、自分の問題。
まっさらで居ることってむつかしい。

ちょっと話ずれるのですけれど、いま在宅勤務で、顔も声も知らない人がたくさんいます。国も性別もあやふやな人がいます。けれどわたしはそのことに対して、居心地がいいとおもってしまいます。お互いに変なイメージを持たずに済むことが。文章だけではニュアンスが伝わりづらいところもあるのは事実ですけれど、直接しゃべって自分が巧く伝えられる自信もないので。
純粋に、人と向き合う。普段会う人とも、そういう風になりたいです。

閑話休題。

「理想の自分」と「現実の自分」の違いに悩んでいるのだとおもうのですけれど、わたしからすると、十分自分を律することができているように感じます。凄いです。
直接言ったことですけれど、本来は苦しむものではなくて、しあわせになるためのものだとおもうのですよ。あくまでイメージですけれど。最初はそこまで強いものではなくて、「欲に振り回されてしまうと自分もまわりも不幸になってしまうから気をつけようね」って感じだったのではないかなぁ……と。わからないですけれど。
だから、強くならなくてもいいのでは、とおもっちゃったのです。だれにも迷惑をかけていないですから。あなたは冷静だとおもいます。

これも直接言った気がするけれど、「しあわせ」って感情だから面倒くさいのですよね。本人が納得しなければ、どんな状況でも「しあわせ」とは言えない。
わたしは友人、全員のしあわせを願っています。すきな人たちがなるべく傷つかずに、穏やかに過ごせることを、切に願っています。けれどそれは本人次第。わたしにはどうしようもできない部分です。「ごまかす」ことはできるかもしれないですけれど、一時的なもの。

(文章のほうが心に残ってしまうので、覚えている部分が偏っていてごめんなさい)
(あの文章もほしかったなぁ……。送信できていたらなぁ……。素直なことば、すき)

自分のことがわからない。そこでずっと、ぐるぐる、ぐるぐる、考えてしまっていました。いまもまだ、完全にすっきりすることはできていないのですけれど……。ぱっと出てきたことばで、納得したものがひとつ。
「わたしだけ救われたくない。彼女のことも救いたい」
これが、もやもやしていた感情の正体かもしれません。言いながら、(嗚呼……そうなのか……)と驚いていました。ストン、と納得しました。そりゃあ、進むことをためらってしまいますよねえ。彼女はずっと後ろにいるのですから。離れてしまったことすら気にしていたのに、置いていくことはできません。

それから、帰りの電車で気がついたこと。
「わたし」を見るひとは、「わたし」のことしか知りません。“彼女”が見えていません。現在、わたし以外、彼女と会えるひとはいないのですから当たり前です。
「待ってください、わたしだけじゃないのです。彼女もいます」
手を差し伸べてくださった方は、いままで何人かいました。けれど、そう伝えることはできませんでした。彼女のことを考えることができていませんでした。彼女のことがこわくて、見ないふりをしていました。
「ごめん」
そう謝ったのは、彼女の望みをかなえることができなかったことはもちろん、向き合っていなかったことに対してだったのかもしれません。

言い訳をするならば、余裕がなかったです。

何かを得るためには何かを手放さなければならない。わたしはそう考えています。
人生で一番病んでいた時期に本が読めなかったのは、好きなことをすべて忘れてしまったのは……それらを犠牲にしてでも心を空っぽに、なるべく考えずに過ごさなければ、耐えられなかったからなのだとおもいます。がんばって生きていたんだね。あのときは気がついていなかったけれど。
「一度しんでみたらいい」と言っていたけれど──わたしもいまそれが必要だと感じています──、しんでしまったのですよ。完全に心がしんでしまいました。あの年の前と、後では、違う自分になってしまったとおもいます。その良し悪しはさておき。
(彼女とわたしが納得する形で、死を疑似体験できたらいいのかもしれません)

わたしがこわいのは……進むためには、今度は彼女を犠牲にしなければならないのではないか、と感じるからです。たぶん。
あり得ないことですけれど、もしも彼女が目の前に現れたら、わたしはおとなしく殺されます。彼女がそれを望むのならば。彼女がわたしを見て、どう感じるのか、もうわからないですけれど……。

未来のわたしが消えたら、過去の彼女はどうなるのでしょうね。そこで消えるのか、わたしの歳まで生きてしまうのか。どうだろう。彼女が永遠に止まっているのは、わたしの中だけだとおもうので、そこまではわかりません。
彼女が感じているものより苦しいことが待っているので、あの場所でふっと消えることができたらいいのですけれど。

自分語りおわりー。
最後にあなたを見て考えていたことをば。

きれいな瞳だなぁ、とおもったこと。
いい色のカーディガンだな、と感じたこと。
すれ違う子どもを見つめる目が優しくて、(子ども好き?)と一瞬疑問におもったけれど、あなたが学んでいたことを思い出して、(当たり前か)とひとりで笑っていたこと。
歩くことが苦ではないなら、いつか一緒にお散歩したい。ひたすらぶらぶら歩いて、ふわふわ話して、またあまり覚えていることができないかもしれないけれど……しあわせな気持ちだけ残っていたらいいなー とおもいます。

わたしの文章を読んでくれて、ありがとう。
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