「生きる」からには嫌なことから逃れられないのか

日々

2021年5月7日(金)

現在働いているところでは、自分のタイミングでお昼休憩を取ることができます。わたしはたいてい、14時過ぎに休みます。朝、ぎりぎりまで寝ているので、世間的にお昼の時間である12時はお腹が空いていないのです。

さて、きょうは珍しく、13時に休憩を取りました。けれど諸事情により、お昼ご飯を食べることはできません。
あとでお仕事をしつつ食べよう、とおもいました。だれにも見られない在宅勤務ならでは、ですね……。

いつもはあっという間に終わってしまう1時間ですけれど、ご飯の時間がないと一気に余裕が出ますね。あれこれ溜まっている家事を進めることもできます。

朝洗っていた洗濯物を干しつつ、ゲーム実況を聴いていました。(家事や執筆等の作業をしながら、ゲーム実況を聴くことが好きです)


観ていた動画のシリーズの主人公は人間ではありません。けれど彼らなりの生活があり、感情があります。そうすると段々、感情移入してしまいます。「命」がないなら、どう扱われてもかまわない、と考えることができません。

(「生きる」って、なんだろう……)
そんなことを考えてしまいます。

夜、そのシリーズのラストの動画を観ました。そこで、「生きる」ことについて、語られました。

生きるという事は、恥にまみれるという事だ。


たしか、手塚治虫さんの『ブッダ』に書かれていたのですけれど……「生きるということは、苦しむこと」というセリフがありました。そのとき、(わざわざ苦しみたくない……)と嫌な気持ちになりました。

けれど人は、きれいなまま、生きていくことはできないのかもしれませんね。苦しむことも、恥をかくことも、避けられません。
そのことを受け入れて、すべての経験を糧にして、生きていけば成長できる……と先人たちは考えていたのかもしれません。

成長しなくてもいい、立派な人にならなくてもいい、人に迷惑をかけてもいい……なんて考えて、子どものままでいる人もいるかもしれません。全員がそう考えてしまったら、社会が成り立ちません。
自分勝手な人のほうが人生は楽かもしれないですけれど、他者をぞんざいに扱うなら、自分のそう扱われてしまっても文句は言えません。「自己責任」を押しつけ合うことになってしまいます。

……けれどそれは、あくまで理想です。
真面目な人のほうが損をしてしまうせかいのように、わたしには感じます。どこか、仕組みがいびつなのでしょう。

どうしたらいいのでしょうね。弱いからついつい、逃げたくなってしまいます。立派に生きることなんて、できません。

きょう読んだ本

アーモンド
ソン・ウォンピョンさん 著
矢島暁子さん 訳
祥伝社
p.46-50

グリーン・グリーン 《新米教師二年目の試練》
あさのあつこさん
徳間書店
p.38-46

2021年5月16日 執筆
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