ぼんやりしている(ように見える)とき、たくさんのことを考えています。ひとりでお散歩しているとき、お風呂に入っているとき、寝る前にうとうとしているとき。思考はうるさいけれど、考えることに一所懸命になっているので、本体は静かです。
2020年10月11日(日)
きのうの日記で書きたいことがたくさんあって、気がついたら朝の5時になっていました。午前中は寝て過ごそうとおもっていたのですけれど、10時に目が覚めたので、そのまま動き出すことにしました。お昼過ぎか、夕方に眠くなったら寝よう、とおもって。
朝食代わりに残り物のお団子をもぐもぐ。先日も残り物のアップルパイを朝食にしていたような……? 一気にお菓子を食べなくなったので、何日か冷蔵庫にあります。わざわざ料理するのは面倒だなぁとおもうとき(ほぼ毎日)、あまりお腹がすいていないなぁとおもうときは、雑に済ませてしまいます。
「ちゃんと食べなさい」って別のわたしが言ってきます。たぶんほかの方にもそう思われていますね。スミマセン。
“
綺麗に積み重ねられたコップのように
私の内部はあなたを抱える
”カフェ勤務時代、積み重ねたコップを散々目にしていたのに……この表現はわたしの中からは出てきませんでした。
“抱える”イメージまでのスムーズさ!『水天のうつろい』
岡田ユアンさん
らんか社#読書記録 #読み途中 pic.twitter.com/E0gKWmvFG3— 織(しき)◆しきおりつづり (@shikioritsuzuri) October 11, 2020
きのう買った本『水天のうつろい』をすこし読んだら、最高の表現に出会って、出かける準備が途中だったことも忘れてじっくり読んでしまいました。準備中に本を手に取ったことがそもそも間違いだったのかもしれません。スムーズな外出、という点においては。
けれどその時間は無駄ではありませんでした。
考えれば考えるほど、この詩の奥行きを感じて感動しました。このことばの凄さが伝わりますか? 「伝わる」素晴らしさがわかりますか?
日本人は昔から短文に想いを込めることが上手ですね。
ことばを扱うプロは格好良いです。力強さが、まったく違う。
なんとか外出できる状態になって、音楽を流しながらしばらく、詩について考えていました。(ところでわたしのパソコンさんとスマホさん、「し」をすぐに「死」と変換してくるので、詩の話をするときは注意が必要ですね)
信号待ちをしているときに、ほぼ無意識にくちびるに触れ、指先にもくちびるにも予想外の“感覚”があって驚きました。マスクをつけ忘れて歩いていました……。ぼーっとし過ぎ。
そのあともふわふわと、さまざまなことを考えていたはずなのですけれど、ほとんど忘れてしまいました。ふと気がついたら、2時間経っていました。その間ずっと歩いていたわけではないのですけれど……。
1枚だけ写真を撮っていました。壁の色がかわいくて、立ち止まって見てしまったお家。
歩くことはすきですけれど、さすがに疲れました。身体は疲れているのに気持ちは元気になっちゃったので、焼豚とたまごで親子丼もどきを作りました。けれどやっぱり面倒なのでレンチン。(“料理”……?)もっとていねいに作ったらもっと美味しくなるかもしれない、とおもいつつ、予想よりは良いお味でした。
(さすがにたっぷり眠れるはず……)と横になったものの、なぜセットしたのかわからないアラームに20分後に起こされました。おはようございます、日が暮れましたね。
長そでは着丈だけの問題ではなくて、肩幅・そで丈も大事らしい、と通販の数値を眺めて学びました。服好きの方にとっては当たり前のことなのかもしれないですけれど。
いまはビッグサイズが流行っているので、肩幅・そで丈が余裕のあるものが多いですね。着丈は短いほうが流行り? 以前販売していたらしいセール品になってしまったお洋服と、新作らしいお洋服の数値を比較して、その違いをたのしんでいました。すこし前までは身体にほぼフィットしている、いわゆるふつうサイズだった様子。
冬を目前に、カーディガンとニットを1枚ずつ手放すことにしました。代わりに1枚、あたたかいお洋服がほしいです。
わたしもゆるっとふわっと、大きめサイズを着こなすことができたらいいのですけれど。ひょろっこいやつが真似すると、「服に着られる」状態になってしまうのでむつかしいです。うまいひとは細身でもちゃんと着こなしてらっしゃいますね。凄いです。
ファッションのことはまだまだ、よくわかりません。
きょうのきろく
天気:曇り